「ニンジン」ぶら下げて走らせるマネジメントはもう終わり
以前に
「残業しなければ評価しますよ」
は本当に解決になり得るのか?
と問いました。
■ニンジンをぶら下げるマネジメントは嫌い
私、どうしても
「ニンジンをぶら下げて走らせる」
ようなマネジメントを
疑問を思ってしまうのです。
ニンジン=「評価」れなければできない仕事。
ニンジン=「評価」されなければでいないミッション。
それって、どうなんでしょう?
(ちなみに、ここでいう「評価」とは
ご褒美、インセンティブ、名誉、地位。
そんな意味合いでいっています)
私は営業組織を率いています。
当然、営業目標という数字は課せられます。
それは私だけではなく、
部下もみんな。
でも、私は
「数字」のために働くのではなく、
お客様の満足のために働いている。
「きれいごと」と言われるかもしれないけれど、
でもやっぱり、
顧客に「ありがとう」と言われて
初めて「いい仕事した」と思う。
■お客様の満足度の表れが数字
そう、数字は自分がお客様のために
何を提供できたのか?
そして提供したもので、
満足してもらえたのか?
その満足度の表れだと思っています。
だから
「評価をしてあげるから
〇〇をしましょう!」
そう発破をかけることが
好きになれない。
それはマネジメントの怠慢だとすら思っています。
■人は何のために頑張るのか?
「お客のために」
「社会のために」
「ミッション遂行のために」
そう思って行動している人は、
最終的には何を望んでいるのでしょう?
会社からの評価でしょうか?
いい給料をもらうことでしょうか?
そりゃあ、その気持ちもあると思います。
でも決してそれが一番の目的ではない。
きっと
「ありがとう」と言ってもらいたい。
「誰かの役にたちたい」
そんな思いからなのではないでしょうか?
もし、お客さまからは感謝されても、
会社や他人に評価されないとしたら、
その人はモチベーションが下がるのでしょうか。
■人は他人に求められることで
自分の存在価値を感じる
人は
「他人からよく思われたい」
「他人から評価されたい」
「他人から一目おかれたい」
そうやって他人の目を気にして生きています。
でも、本当はそんな他人の評価軸に
振り回されるのが嫌だ、という気持ちも
心のどこかである。
■結局は自分が何を大切にしているか?
少なくとも私は、
会社や他人から評価されるために
生きているわけではないです。
評価などなくても、
「人様のお役にたてた」
と感じことができれば幸せ。
これ本心です。
人は本当に心から志すことがあれば、
自然とそれを行動に移すものだと思います。
「評価」などで人を動かせるものでは
本来はない。
私は考えています。
人が動くのは
自分が心から思うミッションを行動に移そうと
思うとき。
だから、
「〇〇あげるから、△△しなさい」
そういうのは辞めてほしい。
私もそういうマネジメントはしたくない。
こんなの人の自発性をつぶすことにもなりかねない。
そして悪くすると、
仕事が内向きなる。
他人の目を気にして行動をし、
本来、向くべきである
外側(相手)に目が向かなくなる。
それだけではない。
部下を馬鹿にしていることにもなる。
評価(褒美)のために
仕事をしている人ばかりではないから。
ニンジンなんてなくたって、
ちゃんと動きますから。
最近、どうしても気になるんです。
部下の行動結果を指標で測り、
目標指標を達成したら評価する。
そんなやり方を。
今時の化学されたマネジメントでは
そうなりがちなのかもしれませんが、
私は
「人の自発的な気持ちを大切にした」
「人のやりたい気持ちを重視した」
「人のやる気を引き出した」
そんなマネジメントをしていきたいと
今でも思っています。