『いつかやろう!』の『いつか』はいつ来るの?
今日は父の一周忌。
昨年は寒い日だったけれど、
今日と同じように青空が透き通る、
綺麗な快晴の日でした。
そして今日と同じように空気がピーンと張り詰めたていた・・・
あっという間の1年でした。
この1年。
父の死を境に、
自分の生き方、考え方が変わったように思います。
いや、『変わった』のではなく、
もともと思っていたことを、『ちゃんと、行動に移そう』と
思えた1年だった。
そういうのが正解です。
父の一周忌を機に改めて噛みしめている思い。。。。
それはこんなこと。
『いつか、○○ができたらいいな』
そう思う人が多いけれど、
そんな○○は決して待っていてもやってこない。
ということ。
『いつか○○』の○○は向こうからやってきてくれるものではないみたい。
そのことに気が付かずに
『いつか・・・・』の思いを毎年、繰り返しリピートしていた。
そしてその『いつか』がか過去に置き去りされている事実。
『いつか』=未来
が悲しいかな、『いつか』に自分が追い付いてしまって=現在
更に、その『いつか』を追い越してしまっている状態=過去
例えばの話。
あなたが30歳とします。
『いつか=35歳くらに管理職になれればいいな』
と思っていたとしましょう。
その『いつか』に向けて何もしていないうちに、
あっという間に自分は35歳になってしまった。
でも残念ながら35歳になっても管理職にはなっていない自分がいる。
なぜならば、自分は管理職になるための行動は何もしていなかったから。
そのうちにまた、
『いつか=38歳くらいに管理職になれればいいな』と思う。
そう、それこそ36歳のあなたは
30歳に思った『いつか=35歳』はとうに通りこし、
またまた新しい『いつか=38歳』を設定している。
つまり
『いつか』を思いつつ、
それを繰り返しながら、
結局は毎日、変わらない日々が続いている。
それが現状だったりするのが私でした。
一体、私の『いつか』はいつ来るのでしょう?
実は答えは簡単だったみたいです。
『いつか』は向こうからやってきてはくれない。
『いつか』は自分から作りにいく。
掴みにいくものだった。
『いつか○○』の○○は
自分が行動してとりにいくことでしか手に入らない。
そんなこと、頭でわかっていたけれど、
なかなか実際に動けなかったのです。
でもあんなに元気な父が、
絶対病に負けるような父ではなかったのに、
なのにあっという間に70年余りの人生にピリオドを打つことに
なったのを見て、改めて自分の行動が変わりました。
だって、もし私が父の年までしか生きられないとしたら、
私はあと30年も生きられないのですもの。
そう思ったらやはり
『いつか』などという魔法の言葉に
淡い期待などしている場合ではないと
心から思ったのです。
とにかく『いつか○○』の○○を
自分からつかみにいくのだ。
その行動を今しなくて、
いつするのだ、と。
自分の人生が終わりに近づいてから、
○○をつかみにいく行動をするよりも、
もっと今のうちに行動に移したほうが、
残りの人生を有意義に生きられるのではないか?
そう思うようになったこの1年でした。
今思うと、このことは
父が残してくれた、
今を生きる私へのエールのような気がします。
父は今の私を天国から見ていてくれているのでしょうか?
もし見ていてくれるのであれば伝えましょう。
お父さん。
私は今、自分から『いつか○○』をの○○をつかみに行こうとしていますよ。
危なっかしいかもしれないけれど、
どうぞ天国から見守っていてくださいね。